活動報告 | 仮り住まいの輪 サイトアクセス情報

2011年7月16日時点での、「仮り住まいの輪」のサイト利用件数をご報告します。

登録物件数:215件(提供中 185件)

問合せ件数:254件

サポート情報登録数:9件

要望登録数:14件(要望に対するフォロー件数15件)

※サイトのシステム上、成約件数は正確な数が把握できません。ご了承下さい。

引き続き、一人でも多くの困っている方の選択肢の一つになるよう、ご協力よろしくお願いします。

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活動紹介 | 福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト

先日7/13(水)の実行委員会MTGに参加いただいた、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクトの斉藤さん、鈴木さんからお伺いした話しを、改めてご紹介します。

「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」の概要と活動
福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト 

東京外国語大学の学生サークル「外大東北復興支援隊」の学生ボランティアが中心
・東京外語大だけで20名弱、他大学で各10名程度(宇都宮、茨城、明学、京都)

避難所を回ってのニーズ調査を基に、4つのチームで1人1人のニーズに寄り添っていく活動を展開しています。
①「住宅マッチングチーム」
②「引越しサポートチーム」
③「家財道具マッチングチーム」
④「保育サポートチーム」

住宅マッチングについては、
・住宅提供ではなく、避難者が住宅を探す手伝いをする
・ グリーンページに登録済み >こちら
・京都に事務局を置いて対応していく

これまでの調査で明らかになった、住まい関連のニーズは、
・専業主婦、育児休暇中の妊産婦さんで、乳幼児から、保育園、小学校までの小さな上のお子さんがいるケースが多い
・ ご主人を福島に残しての避難が多く、新潟、東北方面への避難が多い
・夏休みだけのショートスティから移住まで期間のニーズはバラバラ
・自主避難のニーズも多い

今後、住まいのニーズがあれば、仮り住まいの輪などから登録物件を探して、被災者の方へ紹介いただけることになりました。

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Report | 実行委員会MTG 7/13(水)

本日のミーティングでは、夏休みの間だけでも、子供を安全な屋外で遊ばせてあげたいという、主に福島のお母さんたちの願いをかなえるために、何が出来るかを話しあいました。

ゲストには、「福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト」の斉藤さん、鈴木さん
また、子供向けのスポーツイベントを主宰する「日本フラッグフットボール協会」の寺田さんにお越しいただきました。フラッグフットボールは、アメリカンフットボールを子供でも楽しめるようにしたスポーツで、一番小さい子は2歳から鬼ごっこのように楽しめるそう。詳しくは、フラッグフットボールとはのページをご覧下さい。>参考HP 

もう7月も中旬ですが、いまから参加可能な夏休みイベントなど、まとめて近々リリースします。
お待ちください。

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Report | 宮城・岩手視察

ちょうど震災後3ヶ月を迎えた6月半ば、実行委員メンバーの佐々木、石田が宮城・岩手を訪れ、各所でプロジェクトのお話をさせていただくとともに、現地の住宅ニーズについてヒアリングを行ってきました。

6/10(金)

この日は住田町役場にて住田町長・多田欣一氏にお会いし、【仮り住まいの輪】の趣旨・概要についてご説明しました。

住田町は林業の盛んな地域です。震災後いち早く木造仮設住宅の建設を決断。いわゆる「プレハブ」とは異なる、杉材の仮設住宅を早期に提供したことで注目されています。
【仮設リノベーション】プロジェクトの新堀学さん・石田朋子さんと同行。

福島県で被災された方たちの場合、原発事故による退避を余儀なくされ、関東圏へ移住するという仮り住まいニーズがあります。しかし、宮城・岩手で被災された方は地元の復興を目指し、地域にとどまりたいとする方が多いことが分かってきました。

そこで宮城・岩手では避難所生活を余儀なくされている方が県内・近隣県へ一時的に避難する「Local to Local」の仮り住まい提供が必要だと考えていること、そのためには地域の方たちのご協力が必要であることをご説明。
県内で眠っている物件(通常、不動産物件として挙がってこない、間貸し等)掘り起こしの可能性について、町長と意見交換させていただきました。

その後、住田町の木造仮設住宅を開発・設計した
住田住宅産業株式会社を訪問。
2ヶ所の木造仮設住宅地を視察させていただきました。

 

 

6/11(土)

宮城県石巻市へ移動。

・仙台出身、勤め先のホテルで被災し、宿泊客のケアに当たった小倉典子さん
・ 地震直後に山形から自転車で故郷・石巻へ。【仮り住まいの輪】でマッチングサポートに奔走された高橋秀詠さん
・ 石巻復興支援プロジェクト【石巻2.0】の小泉瑛一さん
・ 仮設から本設への住宅支援プロジェクト【モバイル・すまいる】の天野美紀さん

こうした現地で活動する皆さんと合流し、門脇中学校避難所へ。今も避難所で暮らしている方たちにお話を聞かせていただくことができました。

・ 避難所を出てしまうと生活支援を受けられないから出られない。家財道具も買わないといけないので出費が心配
・ 仮設住宅の入居キャンセルがたくさん出ていると聞いている。ここには仮設待ちをしている人もまだたくさんいるのに…
・ 仮設住宅のキャンセルは、子どもたちが通う小学校から遠い、車がないので通えないという理由が多い。できるだけ同じ学校に通わせてあげたい
・ 避難所で住宅相談ができる窓口や、担当者がいない
・ お年寄りなど、仮設や借家に抵抗のある人も少なくないのでは
・ 自分はまだ働けるからいいけれど、年金生活の人が心配

このような声は報道でも聞かれますが、皆さん不安な状況の中、周囲の人や自分よりも困っている人たちのことを思いやる様子が印象的でした。

その後、避難所職員の方にご紹介を受けて石巻市役所へ。プロジェクト趣旨に理解をいただき、チラシを各避難所に置いていただけることになりました。

 

また石巻日日新聞社を訪れ、情報掲載のご協力を依頼。石巻日日新聞さんは、震災直後から手書きの壁新聞を発行し、地域内の情報発信・共有を精力的に行ってきました。
またミヤギテレビのディレクターさんにもご説明させていただく機会を得ました。

地域内の物件掘り起こしには、ご自宅が無事で“誰かの力になりたい”と考えている一般の方に【仮り住まいの輪】を知っていただき、物件提供いただくことも大切です。またすでに避難所を出てしまい、親戚の家などに身を寄せている二次避難者の方たちにも、未だ仮り住まいのニーズがあると考えられます。こうした方たちに情報を届けるため、新聞・テレビなどメディアの方たちのご協力が重要だと考えています。

 

またこの日は、実際に【仮り住まいの輪】で物件提供をされた高橋さんのおばあさまにお話をうかがってきました。

※高橋さん自身が、地震発生から被災者の方の受け入れまで経緯をまとめたレポートは、>こちら

テレビで沿岸部の被害状況を見て、困っている人にご自宅の空いている建物を貸してあげたいと思われたそうです。

「でもやり方がわからないので、地震後3日目くらいから『どなたか入りたい人』と自分で避難所を回った。一週間毎日、おにぎりとおかず、水を持って。朝と夕方に一日二回。避難所にいる人たちの様子を見たら、家にあるもの何でもあげたかった」(高橋さんのおばあさま)

そこに、孫の高橋さんが紹介してくれた【仮り住まいの輪】の仕組みがマッチしたとのこと。高橋さんが募集から問合せ、契約、部屋や備品の準備までサポートし、現在、4人のお子さんのいるご夫婦が住まわれています。まさにLocal to Localで「輪」が生まれる可能性を感じさせてくれる事例でした。

 

 

6/12(日)

岩手県陸前高田市へ移動。市議会議員・菅野広紀氏にご案内いただき、市内の被害状況を視察させていただきました。
また仮設住宅地となっているキャンプサイトも視察。住田町の木造仮設住宅も建設されている一方、同敷地内に長屋型タイプの仮設住宅も建設されていました。抽選でどちらの仮設住宅に入居が決まるかによって、住環境に大きな違いが出ることになりそうです。

 

陸前高田から気仙沼へ移動し、気仙沼市災害ボランティアセンター事務局へ。ガレキの撤去から仮設住宅での入居者サポートなども行っている下田寛典氏(日本国際ボランティアセンター)に、被災された方たちの住宅ニーズについてヒアリングしました。

「仮設以外の住宅ニーズはまだまだある。お墓があり親戚も皆住んでいる地域を離れて他地方へ移住するのは抵抗もあるだろうが、一関など近隣市街の物件提供があれば、かなり希望が多いと思う」(下田氏)

 

その後、気仙沼地域を中心とした地域紙「三陸新報」記者・三浦一樹氏とお会いしました。ご自身も被災され、避難先だった体育館から、ご家族とともに親戚の家へ。今もそこで二次避難生活を送りながら、お仕事をされているそうです。

「気仙沼は、歴史的な生活文化圏としてはほぼ岩手県。【仮り住まいの輪】のニーズがあるとすれば“県内”にこだわるというより、そういった生活文化圏内で仮り住まいできることが重要なのでは」(三浦氏)

下田・三浦両氏のお話から、宮城・岩手で地元に残る方たちの「土地」に対する感覚が少しずつ見えてきました。
三浦氏からは、八瀬で地域の復興に取り組んでいる方をご紹介いただき、意見交換するとともに、現地での活動に関してご協力いただけることとなりました。

 

今後も【仮り住まいの輪】では、地域ごとの事情に寄り添ったサポート提供ができるよう、現地の方たちとコミュニケーションをとりながら、可能性を探っていきたいと考えています。
お邪魔させていただいた宮城・岩手の皆さん、どうもありがとうございました。

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事例紹介 | 石巻おばあちゃんの学習塾 <後編>

2011/4.17
大安の日曜日、布川さんは入居された。布川さ んに言われるまで僕は大安だと気づかなかっ た。 「夫は浜の人間だからはそういうことを気にす るんです」と奥さんが説明してくれた。子供た ちは早速くつろいでくれている。最後の仕事と して布川さんに手作りの表札をプレゼントし た。友達二人と作った。とっても喜んでくれ た。何度も何度も感謝された。 そしてみんなでおばあさんのつくったおはぎを 食べた。布川さんは新しい家から漁場まで通っ ている。もといた魚場の再建を目指してみると のこと。「海の男は陸にあがったって出来るこ とがないんだ」とても印象的な言葉だった。


写真9 子供達は早速くつろいでます

とりあえずこれで「仮り住まいの輪」を完了 させてもらった。


写真10 友人と造った手作り表札


写真11 仮り住まいの輪完了

現在
今になって振り返ってみると、よく上手くいったな、というのが正直な感想。
最初は大学生だからなめられるかもしれないと思ったりしたが、そんなことはなく、向こ うでは頼られることばかりだった。 これからまだまだ問題は出てくるだろうし、アフターケアもしっかりしなくてはならない が、ひとつ、自分の仕事を終えた感覚があった。
その後、「仮り住まいの輪」が石巻の新聞に載ったり、TV局から取材したいと言われたり、なんだか大事になってしまった感はあったが、はじめて実践でやってみて、わかった こと、わからなかったことがたくさんあった。でも自分の中で日本最大級の災害、その被 災地の最前線でひとつの家族を助けてあげれたことは大きな自信になっている。

素晴らしく優秀な人達の「輪」に助けられて、石巻の「仮り住まいの輪」をすることができました。

みなさんのおかげです。
たくさんの人に感謝します。ありがとう。
高橋 秀詠

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事例紹介 | 石巻おばあちゃんの学習塾 <中編>

2011/4.10
まず、学習塾に向かい、簡単に図面を描き、生活のスペックを洗い出してみた。 キッチン、ガス、トイレは十分に使えた。


写真3 古~い元学習塾

建物自体古いものだけど、痛んでおらず、中も掃除をすれば奇麗になりそうだった。 しかし、もともと人が住むために設計してある訳ではなく、風呂やエアコンがない。ここがネックになるだろうと思っていた。 リノベーションが必要な所は馬場先生に相談してみようと思った。

そして、この情報をまとめて、iPhoneから「仮り住まいの輪」に載せた。
それと同時に 避難所をまわることにもした。
自分で手書きのチラシを作り、自転車で物件から近い4ヶ所の避難所を回った。 最初に行った小学校は係員の方が地元の友達のお父さんだったため、説明もすぐに理解し て貰えて、とても感謝された。 しかし、大きい避難所ほど、チラシを貼らせてもらう交渉に時間がかかった。 上の人に許可を取らないと、と言われ何カ所もたらいまわされた後、最終的に市に提出し てくれと言われたりもした。 県外から来た係員さんも多く、なかなか話が通らず、チラシを貼るだけでも一筋縄には行 かなかった。

その後、避難所になっている公民館をまわり、チラシの説明をしている時、公民館に常駐 している政治家の方に話しかけられた。 その方は、僕のことを知っているようだったが、僕は一瞬とまどってしまった。 話をしてみると、その方は私のおじいさんが市会議員をしているときのお弟子さんだった ということ。小さいころの僕を知っている人だった。 そこでその政治家の方に「仮り住まいの輪」のことを説明し、もっと避難所の人に知って もらうにはどうしたらいいか相談したところ、その後いろんなサポートをしてもらえた。

避難所回りを終えて、家に帰ろうとした時、一件目の連絡がある。

宮浦さんという方だった。
宮浦さんはチラシを貼りにいった石巻商業高校の先生だった。 チラシを体育館に貼ろうとして、内容に目を通してすぐに、電話をかけてきたようだ。 今日今すぐに見学に行きたいと言われた時は驚いた。
待ち合わせをして、案内をすることになった。宮浦さんは、自転車でやってきた。50代 くらいの男性だった。 この自転車は大阪から送られてきた放置自転車だと笑いながら話してくれた。家は港の近 くに住んでて、一階は冠水して、奥さんと二階だけで生活している。 車を流されてしまい、職場の高校まで自転車で一時間半かけて通っているそうだ。学習塾 からなら自転車でも20分くらいの距離なので、興味を持ったとのこと。 部屋を案内すると、想像より広かったらしく、驚いている。なにか考えていたようなの で、僕は気に入らなかったのかな、と不安になった。 その後、実は私たち夫婦より大変な生徒がいて、その家族に貸してくれないだろうかと、 話してくれた。
その日はその家族とも奥さんとも相談してみるといって帰られた。

その後問い合わせは続いて3日間で5件来た。 チラシを見て電話してくれる方が多かったが、「仮り住まいの輪」のサイトから問い合わ せてきた方もいた。 風呂もエアコンないのにここまで問い合わせがくるとは正直思っていなかった。それほど 状況は切迫しているということなんだとも思った。

結果的に2番目に見学に来て頂いた布川さんという家族が入居された。
宮浦さん夫婦は自宅を離れることにはしないと決めて、生徒の家族は仮設住居に当選したとのこと。 見学に布川さんは家族全員で来た。 「こんにちわー」と車から元気よく飛び出してきた3人の男の子。さっそく家の周りを走 りまわっている。多少面食らった。 その後、申し訳なさそうに布川さん夫 婦が挨拶してくれた。 奥さんは生後数ヶ月の赤ちゃんを抱い ている。なんとこの子も男の子。 布川さんはこの車、津波でもう廃車寸 前なんだと笑いながら話してくれた。 石巻の人間は強い人が多い。


写真4 いきなり家の前の道 路で遊ぶ子供達


写真5 布川さんの家があった小渕浜

布川さん一家は牡鹿半島で漁師をされている。
家を全て流され、避難所生活をしていたが、子供が小さな男の子4人で、避難所の共同生 活は大変苦労してたようだ。 おばあさんがまだ見つかっておらず、毎日避難所から捜索しに海まで通っている。
そんな中仮り住まいの輪をチラシで知り、問い合わせて来てくれた。 話をしてみると布川さんの妹さんが東北芸術工科大学の卒業生だとかで盛り上がった。い ろんなところで繋がっているものだ。 職場からは遠いけど、子供の通う小学校に近いから、ここに興味を持ったとのこと。 奥さんは海の近くはもう嫌で、山間のこの集落なら安心できると言っていた。
家の中を案内してるときに僕らは壁にネズミの穴 を発見してしまった。
僕は一瞬焦ったが、布川さんは何故かとても喜んでいる。
「ネズミがいる家は安全な良い家ってことだから」そう言った後、「お願いします。ここを貸して下さい。」

もしかしてネズミが決めてだったのかもしれな い。


写真6 学習塾の名残の黒板

布川さんに貸す物件は元々学習塾だったので、お風呂がない。
リノベーションして造ることは出来る。しかし、家主のおばあさんがお金を出すことは出 来ないため、布川さんに負担して貰うことになる。 そうなると入居期間の問題が出て来てしまう。布川さんは仮設住宅も申し込んでいるた め、入居期間が不確定だ。 お金を出して貰ってお風呂を造っても、もしかしたら、三ヶ月しか入居しないなんてこと になるかもしれない。 お風呂を造るべきか、何か良いやり方があるか、大工さんと話し合った。 その後、布川さんの意向でお風呂は造ることになった。大人は2、3日風呂に入らなくて も大丈夫だけど、子供は肌荒れしてしまうそうだ。 しかし、また問題が出てきた。当時、石巻にはボイラーがなかった、浴槽もない。おそら く仮設住居に全て回っているのだろう。 大工さんがいろんな所に電話してくれたがなかなか厳しそうだ。 石巻にはまだまだ足りないものがあるというのを実感した。

ここまでチラシを貼ってからあっという間だ

その後の手続きも一筋縄ではいかなかった。 サイトからガイド用紙をダウンロードするにもweb やプリンタのある所を探しに行ったり、免許証のコ ピーを取ろうと思っても、船ごと流されて無くなっ てしまっていた。


写真7 引っ越し!

なんとか契約手続きを苦戦しながら終え、 子供達と一緒に引っ越しを手伝ったり、隣 の家に挨拶まわりに行ったりした。 すぐに近所の人達が着なくなった子供服や 使っていない子供用の自転車などを持って きてくれた。
自分の地元の人達をとても誇らしく思う。


写真8 立派な自転車を頂く

つづく >後編へ

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事例紹介 | 石巻おばあちゃんの学習塾 <前編>

以前ご紹介した、宮城県石巻の仮り住まい事例「おばあちゃんの学習塾」
物件を掲載してくれた東北芸術工科大、建築学科の学生高橋秀詠くんは、仮り住まいの輪の実行委員メンバーである馬場正尊のゼミ生でもあります。

地震発生から仮り住まいサイトへの物件提供、被災者の方の受け入れまでをまとめてくれました。

地元情報誌に掲載された様子は、>こちら

被災地出身の彼のリアルな思いをご覧下さい。
以下、原文のままでご紹介します。
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2011/3.11
僕は山形市にいた。 大学の準備のため6日に石巻から戻ってきたところだった。
就職活動をしなければと思ってはいるものの、身が入らず遊んでばかりいた。
そして、2時46分。 東日本大震災が起こる。


写真1 石巻市の沿岸部はほぼ壊滅

未曾有の大災害は僕の地元の石巻市を襲った。

数日後。
家族の安否が確認出来、幸い身内に被害者は出なかった。しかし、知人友人とは一向に連 絡がとれない。 すぐにでも石巻に帰ろうと思っていたが、父親から、「こっちは危険だから来るな、」と 言われ、自分がなにも出来ないことにがっかりする。 しばらく山形市内で出来るボランティアをした後、向こうの道路状況が回復した頃に帰省することにした。
山形市は速やかに復旧し、ほとんどいつも通りの生活が戻っていた。 このときすでに仮設住居や避難所の問題がニュースで流されている。 その問題に対して東京で新しいシステム作っている所だという話も馬場先生からのメール で知っていたが、そのとき自分はまだ何も考えていない。

2011/4.6
震災から約1ヶ月後。
石巻に帰る。
僕は自分の車を持っていない。 そもそもガソリンは山形市内でも手に入る状況ではなく、高速道路も一般車両は通行止め で石巻に向かう下道は大渋滞しているという話だ。 電車は津波に飲み込まれてしまい、復旧には1年程かかるといわれ、バスは予約を取らな くては行けなかった。
僕に残された交通手段は自転車しかなかった。趣味でやっているロードバイクにバック パックを背負い、山形市から仙台を抜けて石巻に向かった。 よく行くショップの自転車仲間が途中まで見送ってくれた。 約120キロを6時間かけて走る。 道路はやはり大渋滞だったため自転車で正解だったかもしれない。 仙台を越え、松島を越えて東松島市に入ろうという所から明らかに空気が変わるのを感じる。街全体から殺気のようなものを感じた。
すれ違う車に自衛隊のジープが増え、空には何台ものヘリが飛んでいた。 途中に休憩したコンビニでは全国から支援に来てくれたガス、水道局の作業員の方々が殺 伐とした雰囲気の中、無言で弁当を食べている。 震災から1ヶ月たった所だ、とても疲労しているように見える。 そこらじゅうの道路で止まっているトラックでは運転手が寝ていた。ジープで移動中の自 衛隊員も運転手を残してみんな眠っていた。
そこで気づいた、ここは戦場だと。 道路はがたがたでパンクに気をつけながら自分の家に向かって進んで行く。


写真2 野球場はまるで戦場

無事実家に着き、家の被害を確かめた後、友人の安否を確認して回った。自分の家の数十 メートル先には津波の押し寄せた跡が残っていた。

水道はまだ通じておらず、電気は来たばかりだった。インターネットは回線が混み合ってて不通、電話も市内の人間には繋がらない。 石巻市の大半の地域はそうだったちょうどその頃だった。
メールで馬場先生から「仮り住まいの輪」というものが、たちあがったと聞かされたの は。

2011/4.7
深夜に震度6強の余震が起こる。
僕は風呂に入っていたが、飛び出した。10秒程しか入れなかった。 一時間に数回余震が来る。街全体にただよう緊張感は休まることがない。 停電、断水、3日前に復旧したばかりなのに、またか、と家族は嘆いた。
山形での普通の生活が信じられなくなる。なんというか気持ち悪い。
被災地のリアルはそれほどに過酷だった。

2011/4.9
石巻では市内全ての学校が避難所として使われていた。仮設住居はそのときまだ着工場所 すら決まってなかった。 それにも関わらずその学校も新学期が始まるため校舎を空けなくてはならないと市から宣告されていた。
数千人の避難者がまた移動しなくてならない。 そのため市内の不動産には人が殺到。 友人の一人は大学生のための1ルームに家族全員で住むという。 建築を学んでいる身としてはそんなことは考えられなかった。

そんな状況の中、「仮り住まいの輪」のことを思い出す。

なんとか朝早い時間帯にiPhoneからwebに繋ぎ、「仮り住まいの輪」のサイトを見た。 無償で空き物件を貸し出すというシステムは仮設住居より、はるかに速いスピードでそこ に住むことができ、被災者の負担も少ないものだと思った。
そのときに僕は石巻にはこれが必要だと思いはじめる。
しかし、upされている物件の多くは東京、北海道、山形にあった。石巻はおろか、宮城県の物件すらなかった。

正直これでは、遠すぎる。
そもそもネットの通じない被災地の人間はこのサイトの存在を 知っているはずがなかった。 借りたい人も貸したい人もたくさんいるはずなのに。
この話を家族や友人にした所、身近な所で貸せる物件があることに気づいた。そして友人の父親が新聞の編集長だったこともあり、新聞の載せるようかけあってくれたりした。
そのときに、自分に出来ること、自分にしか出来ないことが見えた。
石巻といっても僕の家が大丈夫であったように被害の少ない地域はある。不動産の管理する空き物件はなくてもホームステイ形式で家の一部を貸してくれる人達は まだいるかもしれないと思った。
うちの母方のおばあさんがその最初の一人だった。 私の母方のおじいさんは昔、市会議員をしていた。おばあさんは家のはなれを学習塾とし て貸し出していた。 古い家だったのでずいぶんと広く、当時はたくさんのお客さんや、塾に通う子供たちで賑 やかだったみたいだ。 その家も今はおばあさんとおじいさんの二人だけで住んでいる。 そのはなれにある学習塾を今回の震災で被害を受けた方に貸し出したいと言ってくれた。
そこで、僕が被災者の方と この学習塾を「仮り住まいの輪」を通じて繋ぐ役割を しようと思った。

つづく >中編へ

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事例紹介 | 東京に仮り住まい中の20代女性の場合

先日、実行委員メンバーの一人が提供した東京の家に仮り住まいが決まった福島県・大熊町出身の20代前半の女性の方のことを、避難している方のリアルな現状として、プライベートに差し支えない範囲で、この場で共有させていただこうと思います。

彼女は最初、家族でいわき市に避難。
東京で仕事を探したいので、東京の物件情報はないかと役場の方に聞いたところ「仮り住まいの輪」の話を聞き、その場で担当者の方のスマートフォンで「仮り住まいの輪」のサイトを見せてくれ問い合わせに至ったそうです。

避難所に一次避難>親戚の家に2次避難>お互い長居がつらくなり、また新しい場所を探す。
場合によって、家族単位で避難しているが、若い方だけは職探しで上京というケースも。

これまでは、離職手続きなどに時間がかかったが、これから仕事を探し、それが決まればそこに近い家を探すという流れが多くなりそうです。
就職斡旋の場にも、当サイトの告知を伝えるのが有効ではないかと、新たな働きかけ先が見えてきました。

そうした就職斡旋の場につてがある方は、ご協力お願いします。

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Report | 猪苗代・会津若松にいってきました 5/22(日)

週末5/22(日)実行委員メンバーの大島、島原が「仮り住まいの輪」の活動を伝えるべく、福島を2ヶ所まわってきました。

まずは、先々週二葉町の方が集団避難した埼玉県加須市の避難所で聞いた情報を元に、リステル猪苗代へ。

リステル猪苗代は、双葉町から760人避難。他の避難所が閉鎖するに伴ってここの人数は増えている。
ここ以外にも、複数の小規模な宿にも分散して避難している。
・猪苗代に住宅情報、求人情報は少なく、老人比率高い
・避難所としての開放は7月15日までの約束。
・仮設の確保もまだで、その後の住まいはまったく目処が立っていない
・役場として住宅の相談には応えられていない、自力で探してもらうほかない。
とのこと。
・ロビーなどの雰囲気からは、成り行きに身を任せている高齢の方が多い印象。

つぎに会津若松へ。
会津若松の役所の中に大熊町の出張所があり、話を聞いてきました。
人口1.1万人の大熊町の多くは、地理的に近く雇用機会も多い、いわき市へ避難しているとのこと。

会津若松へは、4月時点で3000人避難して来た。
会津若松では、5月末までに確保の目処が立っている仮設住宅は558戸。
民間賃貸借り上げ仮設で510戸、合計で約1000戸超が確保できている。
このほか、先行して契約した賃貸の借り上げ追認が400戸あり、
県内に留まる方の次の住まいは、概ね目処が立っている。

っということが分かりました。
実行委員メンバー内で、日々、こうした最新の現地情報を共有して、どこに仮り住まいを必要としている方たちがいるのか、その人たちに情報を届け、多くの提供者の方の申し出をいかすべく、これからも動いていきます。

写真は、大熊町の避難所、川東町総合体育館近くの水をはった田んぼに落ちるキレイな夕焼け。

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Report & 活動紹介 | 学生さんたちの復興支援活動 

5/15の実行委員MTGは、復興支援活動をする学生さん中心にゲスト盛りだくさん。それぞれの活動状況を報告してくれました。

家まっちproject(千葉大・加藤くん)twitter:@ie_match
「家まっち」はマッチングサイトの利用機会を促進し、被災者の住まいの選択肢を広げると同時に、被災者の住まいに関するニーズを社会に発信することを目的とする学生有志団体です。 避難所にマッチングサイトで掲載されている住宅情報を、紙媒体で掲示します。また、被災者の方にアンケートを行ない、住まいに関するニーズを調査し社会に発信していくことを主な活動としています。(サイトプロフィールより)

4/10の説明会に来てくれた縁で知りあった家まっちプロジェクト代表の加藤くん。4/2に活動発足。仮住まいの情報を避難所に届ける活動をしていて、当サイトの物件情報も避難所に届けてもらう協力をしてくれています。
宮城県>県外避難ニーズが少ない。福島にはニーズがあるのでは?とのこと。住宅情報を伝える以外にも、東京に避難してきた東北の学生たちの交流会を企画するなど、がんばっています。活動内容は、ブログで読めます。 ⇒家マッチprojectのブログ

京都の家プロジェクト(京都大 宮下さん)twitter:@kyotonoie
京都でシェアハウスをしていた宮下さん。震災を機に、シェアハウスならではのメリットをいかして被災者受け入れたいと呼びかけに賛同した8件のシェアハウスをネットワークを組み、受け入れを行っています。家賃負担なし、生活実費のみ。現在までに8件13名の受け入れ。各事例や気をつけた方がいい点などを報告してくれました。

活動の発展系として、
生活サポート活動「京都へようこそ」を展開。
京都新聞でみて、住宅提供以外の支援の申し出が集まる。他地域での参考のためにノウハウまとめサイトを立ち上げ。
「シェアハウスで被災者を受け入れるノウハウまとめ」

「京都の家」をシェアハウス以外の一般住宅を対象に再展開。京都市が借り上げた賃貸20件のうち16件に入居。物件提供の申し出は多い。

「ハローファームプロジェクト」(有機農業)で農家、就農希望者を受け入れ もやられているとのこと。頼もしいです。

慶応義塾大学気仙沼復興プロジェクト(SFC・清水くん、阿部くん)twitter:@kesennuma_pj
慶応大SFCの研究会「農村イノベーション」(担当教員一ノ瀬友博)の履修者を中心に、有志の教・学生が集まり、気仙沼復興プロジェクトを立ち上げ。SFCでは今回の大震災の復興を様々な形で支援して行くことが決まり、かなりの人数が被災地入りして活動を行っているそうですが、そのの活動一つとしてこのプロジェクトは位置づけられているそうですが、宮城県気仙沼に着目したのは、清水くんが気仙沼市の出身で、彼の実家の家業 も大きな被害をうけたことがきっかけとのこと。新しいまちづくりのためのムーブメントとして活動していて、ゴールがあるわけではないとのこと。ソフト面で、IT面で、建物やまちづくりのハード面でとプロジェクトはかなり多岐にわたっているようです。

実行委員メンバーは、みな仕事をしながらの活動のため、被災地に行く時間なども限られます。こうした、頼もしくフットワークの軽い学生さんたちと連携をとりながら、今後も仮り住まいの輪の活動を告知し、少しでも多くの人に、住まいの選択肢の幅を広げるお手伝いが出来ればと思っています。

最後に、今回のmtgで決まったこと。
遅れているサイトの支援サポートのグリーンページもオープン間近。さらなるマッチングサポートの対応するため、仮り住まいの輪として、問合せ対応の電話番号を設ける。6月には、まだ行けていない岩手に視察に行き、地元のホームスティ系物件のニーズの確認(提供、入居)。福島は、閉鎖が近い大きな避難所をめぐり活動告知をすることを予定しています。

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