事例紹介|千葉 「ママ同士だからできるサポートを」<インタビュー>

今回ご紹介するのは、仮り住まいの提供だけにとどまらず、お母さん同士として子育てを含む暮らしのサポートをされた事例です。
提供者の田島さんは千葉県市川市でマンションを経営する大家さんであり、6歳・3歳のお子さんを育てているお母さん。1歳のお子さんとともに福島市から避難した喜多川さんにマンションの一室を提供しました。

 

■入居者:山形、湯沢を経由して千葉で仮り住まい
喜多川さんは夫妻ともに福島出身。原発事故があってから3月中は一歩も外に出ず福島市の自宅に閉じこもっていたと言う。5月の連休を利用して山形のペンションに宿泊客として4日間程滞在。いざというとき山形に避難することも想定しての様子見だった。

その後知り合いから湯沢での赤ちゃん一時避難プロジェクトを紹介され、4/7から新潟県へ。夫は福島に戻り母子のみホテルに滞在していたが、「7月末いっぱいで終わり」との情報を受け(実際は8月末まで延長された)、行き先を見つけなくてはならなかった。
「別荘なんかを貸してくれる人がいるらしい」といった話を聞き、夫はインターネットで、妻も滞在先の湯沢から携帯電話でこうした物件や支援の手を探していたとき、仮り住まいの輪で田島さんの物件に出会った。

 

■提供者:空き住戸と被災者のマッチングサイトを探していた
喜多川さんと同じく小さなお子さんを育てる田島さんは、原発事故直後から1週間程は換気扇をふさいで家に閉じこもっていたと言う。その間、Twitterや掲示板、Facebookを通じて情報収集・交換をしていた。
被災地のために何かしたいが、小さい子どもがいて、現地には行くことは難しい。
自宅でもあるマンションは、ちょうど法人の退去がありいくつか空室が出たところだった。この部屋を被災した人に提供したいと考え、「空き住戸と被災者のマッチングサイト」を探す中で、仮り住まいの輪を知った。他の類似サイトに情報を掲載しつつ、運用開始とほぼ同時に仮り住まいの輪にも登録した。

 

■子育て中のママを想定し「どんなサポートができるか」を発信
田島さんは最初から、提供する上限を「(複数室の場合)合計で12ヶ月分」と設定した。つまり2室なら6ヶ月ずつ、3室なら4ヶ月ずつとなる。それ以降は半額程度で定期借家に移行させてもらう。
また最初から「小さな子どものいるお母さんの受け入れ」を想定していた(※限定ではない)。サイトの募集情報には、どんな環境で何が出来るのかを「育児や買い物、行政との連携などいろいろできます」「自宅の子供部屋を一緒にプレイルームとしてお使いください」「ベビー子供用品などもあります」といったやわらかい伝え方で書いた。子どもの写真を載せたことも、見る人の安心感や問合せの際のハードルの低さにつながったようだ。

喜多川さんは以前は船橋に住んでいたことがあり、市川ならば友人も近くにいたし土地勘もあった。6月頭に問合せをし、すぐに田島さんから電話があった。
田島さんの物件には複数件の問合せ・下見があり、喜多川さんは、「検討中」だった人のキャンセル待ちだった。同時に同じく千葉県内のマンションを提供してくれるという不動産屋さんと連絡を取り合っていたが、海に近い立地であることが不安だった。
ちなみに田島さんの物件への問合せはすべて福島からで、宮城や岩手の人はいなかった。検討中だった人は郡山で、自宅が指定避難区域から外れたため、避難自体を中止したそうだ。

7/1、喜多川さんが入居。1週間程前に福島の自宅に戻り、準備をした。身の回り品、布団1組、着替え、小さなテーブル等。レンタカーを借りて自分たちで運んだ。その他、家具家電は現地のレンタルで揃えた。

 

■住居提供以外のサポートが仮り住まいの支えに
喜多川さんが到着すると、田島さんが手作りの周辺マップを用意してくれていた。買い物に便利な場所、オススメの飲食店まで解説や現地の写真を添えて紹介されている。小児科をはじめとする地域の病院についても詳しく教えてくれた。

実は田島さん自身、お子さんの身体が弱く病院に連れて行くことが多かった。2011年2月末に退職するまでは働きながら子育てをこなしていたが、専門科ごとの休診日や診察時間、救急対応が毎日なのか一日おきなのかといった情報を、複数の病院について把握している必要があった。結果、地域の病院や保育行政についてはずいぶん詳しくなった。知らない土地で子育てをする喜多川さんにとっては、かなり心強い先輩ママだ。
一緒に買い物や食事へ行ったり、夏の花火大会には、田島さんの部屋へ喜多川さん親子が訪れ家族ぐるみで花火を見たこともあった。また田島さんのお子さんが小さな頃遊んだおもちゃを譲り受けることもあったそうだ。別の階に住んでいるため、普段はメールや電話でも連絡を取り合っている。

「会ってみるまではどんな方か分からないので不安でした。でも、田島さんはとても話しやすくて、何でも聞きやすいのが助かっていますね。ゴミの日をメールで教えてもらったり。ここはお店も近いし、公園や神社もあって住みやすい」(喜多川さん)

「些細なことでも連絡を取り合っています。何日か顔を見ないと『元気ですか?』とメールしていますね」(田島さん)

喜多川さんより前に、入居を決めて避難してきた一家がいた。ただ避難する家族の人数が増え、こちらの物件では手狭になったため、田島さんが一緒に物件探しを手伝ったそうだ。この一家は住民票を千葉県内へ移したが、行政とのやり取りや、中学生になるお子さんの転入手続きなどもサポートした。今では友達がたくさんできて、「帰りたくない」と言っているそうだ。下のお子さんは難しい病気で都内への通院が必要なため、車での送迎も田島さんが手伝っている。
実際にこれだけのサポートをしている、ということ以上に 「こうしたサポートを必要としていることに気づける」というきめ細やかさが印象的だ。子育てに苦労した経験があるお母さん同士だからこそのサポート、と言えるかもしれない。

 

■いずれは福島に帰りたい
結果的にこの物件への仮り住まいは1室になったため、最大で12ヶ月まで延長が可能になった。

「でも、いずれ戻りたい。戻れるかな…」
(喜多川さん)

家を買ったばかりだったし、出産前に転職したばかりだった仕事にも復帰したい。 夫は福島に残って働いており、週末など仕事のないタイミングで千葉へ通っている状況だ。地元に残る知人たちが、土の入れ替え等、少しでも放射線量を下げる取組みをしている話も聞いている。

避難することを他の人に勧められるかと言えば、難しい面もあるという。「生活が2つになるし、経済的負担も大きい」というのが理由だ。避難することに対して、周囲の反応は「止める人もいないし、賛成という人もいなかった」。両親も本人たちに任せるという反応だったようだ。
ただ喜多川さん自身はこちらへ来て「本当によかった」と思っていると言う。子どもも落ち着いている。山形に避難した知人は子どもと自分だけの生活が寂しく、しょっちゅう福島に帰っているという話も聞いた。たとえ田島さんほど具体的な子育て支援でなくても、相談できる人や話し相手がいるだけで避難した人にとっては支えになる。

お母さんによるお母さんのサポート。放射線の影響に対する不安が続く中、こうした支援への期待はますます高まっていきそうだ。

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2011年3月11日から1年が経ちました。
仮り住まいの輪活動レポートでは現在、昨年取材したケースをご紹介しています。
この1年間を振り返り、これからを考えるために、 役立てて頂ければ幸いです。

(取材・文/石神夏希)

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