事例紹介|大阪 「被災地は東北だけじゃない」<インタビュー>

今回ご紹介するのは、千葉県東葛地区から大阪市へ仮り住まいされた佐竹さん(仮名)のケースです。
※写真は現在仮り住まい中のお部屋(佐竹さん提供)

■ホットスポット付近の自宅から大阪へ避難
佐竹さんは、夫と小学校1年生の娘との3人家族。
東葛地区にある自宅はいわゆる「ホットスポット」にほど近く、高い放射線量が観測されたことに不安を感じて避難を検討していた。しかし2年前、実母の面倒を見るため実家近くに引越してきたこともあり、地元を離れることについてはかなり悩んだという。

「夫は、『気持ちは分かるけれども、子どものことを考えたら、遠くに行くに越したことはない』と言ってくれて、私が決断できるまで待っていてくれました」(佐竹さん)

「どうにかここで頑張れるのでは」との思いで、子どもにはお弁当を持たせたりマスクを着けて登校させたりと、できる限りの対策をしていていた佐竹さん。公園に遊びに行かせることも控えていたが、周囲には同じようにしている子がいなかった。「みんなと違うことを、子ども自身はどう感じるんだろう」と考えたことも、避難を決断する後押しになったという。
沖縄のマンスリーマンション等も検討したが、最終的には仮り住まいの輪を通じて出会った大阪市内のマンションへの避難を決定。子どもの学校が夏休みに入るのを待って母娘二人で大阪へ移り、2学期から市内の小学校に転入させた。夫は仕事のため自宅に残った。


■Twitterで仮り住まいの輪を知る

佐竹さんは震災後の情報収集ツールとしてTwitterを活用しており、仮り住まいの輪もTwitterで見つけた。
避難をするならできるだけ遠く、と考えていたが、夫が会いに来やすいよう交通の便の良い大阪を希望地に決めた。犬と一緒に暮らせることも必須条件だった。
そこで「大阪」「ペット可」の2つの条件で絞り込んだところ唯一ヒットしたのが、大阪市内の不動産会社さんが提供していたマンション。社長含めスタッフ全員の顔写真が掲載されていた自社サイトを確認できたのも決め手になった。

「顔が見られるとこんなにも安心するんだな、と実感しました」(佐竹さん)

問合せをしたのが6月末〜7月初め頃。仮り住まいの輪のガイドラインで示されていた基準(3ヶ月間)を参考に、夏休み1ヶ月間だけの避難を希望した。
メールをしてすぐに担当者から「長期避難の人から優先で考えているので、1ヶ月だけの方はいったん保留でお願いしています」と電話があった。

「(長期で仮り住まいできるのは)こちらとしては願ったり叶ったり。そういうお話をして頂いて、ようやく引越をする決断ができました」(佐竹さん)

すぐに夫と相談し、1年間の長期契約で仮り住まいすることを決断。
最初のメールで福島県からの避難ではないことを書き添えてあったが、「福島の人に限ってはいないので大丈夫です」と返答をもらった。
仮り住まいの輪での問合せはこれが初めてだったが、1件目で入居が決まった。


■提供者の精神的なサポートが支えに

佐竹さんの親類・家族が、仮り住まいの輪の仕組みに不安や疑いを感じることもあったようだ。「騙されているんじゃないか」「 無償で住めるなんて、そんなことあるわけない」と心配する周囲の声を聞き、佐竹さん自身も不安になることもあったと言う。

「(条件等を)書類に残して下さいとお願いしたり、色々なことをしつこく聞いてしまった。親切にして頂いているのに失礼だなと思ったんですが、それに対してもすごく丁寧にお返事をもらって」(佐竹さん)

周囲の環境も気になっていたため事前に現地を訪れ、その際、契約書を交わした。新しくはないがよく手入れ・掃除されていることが分かるマンション。地下鉄の駅前という好立地で、徒歩圏内で生活に必要な物はすべて揃うため、車を置いてきたことは不便にはならなかったそうだ。家具はいずれ家族が再び一カ所で暮らすことを想定して、できるだけ新しく買うことはせず、ほとんど自宅から大阪へ運んだ。

「最初は、小さいお部屋でいいですと言ったんですが、『ご主人がいらっしゃることがあるなら、3DKが空いているからそちらがいいんじゃないですか』と広いお部屋を勧めてくれました。電気やエアコンも新しい物に交換して下さって。本当に細やかにしていただいたと思います」(佐竹さん)

加えて、提供者である不動産会社の人々の精神的なサポートもあった。地元のオススメのお店を書き込んだ周辺地図を用意してくれ、「どんどん聞いて下さい」と言ってくれたり、同じマンション内に社員さんが住んでいたり。「無償だから、という理由で絶対に引け目を感じないで」「トラブルがあっても我慢しないで」という言葉がとても心強かったという。


■もっと正直に話せたら、他の人のキッカケになれたかも

一方、佐竹さんの中には「指定区域ではない地域からの引越なのに、本当にいいのかな」「申し訳ない」という思いもあった。
身の回りには、放射能の影響を心配すると「気にするな」と夫に叱られてしまう、というお母さんもいた。引越の際、子どもの同級生の父母たちには本当の理由を告げられず「主人の仕事の関係で」と伝えて転校した。

「でも、あのときもっと正直に話せれば、もしかしたら他の人が考えるキッカケにもなれたのかなと、今なら思うんですけど」(佐竹さん)

子どもが幼稚園の頃から付き合いのあるお母さん友達など、親しい人には本当の理由を伝え「がんばれ」と言って送り出してもらった。
自宅周辺地域のリスクが下がれば戻りたい、せめて関東圏へ戻りたいという気持ちは今でも持っているが、子どもにまた引越や転校を経験させることに、不安を感じてもいる。

「今でも地元のためにできることがあればしたい、と思っています。でも(地元が)好きだと言いながら、地元が大変なときに逃げたんだから、『逃げた人間は戻れない』という気持ちになることもあります」(佐竹さん)


■あたりまえのことができる幸せ
佐竹さんは東葛地区の自宅にいたときのことを、「命を守るためという理由を免罪符のようにして、給食を食べないことも外で遊ばないことも強要してしまっていた」と振り返る。
「でも、子どもが外で遊びたいのはあたりまえですよね」。地元にいるときは、あたりまえのことができなかった。大阪へ来てそうした環境が無くなり、あたりまえのことができる幸せを噛み締めている。

「毎朝子どもを学校に送り出すことに不安を感じるなんて、おかしいことだと思う。関西もリスクがゼロではないのは分かっていますが、リスクが格段に減ったこと、子供が元気に外で遊んでいる姿を見られるのが、何より「よかったな」って、本当に思いますね」(佐竹さん)

必死に対策をして子どもを地元に残してあげることも一つの選択肢だったかもしれないが、そうした状態がずっと続いたとき親子ともども精神的に健康でいられたかというと、自信がない。
大阪へ引越してきて、これからもっと大変なことも出てくるかもしれないが、佐竹さんは「本当に来てよかった」と思っているそうだ。


■被災地は東北だけじゃない

佐竹さんは、今いるところが危ないとなれば、沖縄や海外にも行く覚悟をしているという。一番の理由は子どもの健康を守るためだ。避難を迷っている人へのメッセージを聞いた。

「これ(放射能の影響や問題)は避けられるもの。いま危ないって分かっていることだから、逃げないのは命を諦めることと同じかな、という気持ちがあって。

無償での仮り住まいを申し訳なく思ってしまうことはあります。でもたくさんの人に支えられて今の暮らしができているからこそ、自分が誰かを助けられる機会があったら、同じようにやってあげられればいい。変な負い目を感じずにみんなが平等に避難できるようになれば一番いいと思います。

色んな考え方があるとは思いますけど、被災地は東北だけじゃない。1ヶ月でも3ヶ月でも少し離れてみることで、楽になったり、冷静に考えられるというのもあると思う。だからまず逃げてみて、まずここに来てみて考えてみたらいいんじゃないか、と思うんです」(佐竹さん)

佐竹さんの勇気が、迷っている誰かの背中を押してくれることを願っている。

(取材・文/石神夏希)

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。