事例紹介|岡山 「“ない”ことから広がった善意の輪」<インタビュー>

今回ご紹介するのは、岡山県倉敷市の仮り住まい。
最寄り駅である「中庄駅」は新幹線の通る岡山駅、倉敷駅といった大きな駅へも十数分で出られる交通の便のよいところです。

提供者は兵庫県在住の佐藤さん。生まれ育ったこの町でお父様が遺した賃貸アパートの空き部屋を提供しました。

■阪神大震災の経験から、仮り住まいの輪に共感
佐藤さんは阪神大震災の際、震災関連で祖父を亡くしました。このとき、地震で亡くなるのは建物の倒壊や火事など直接的に被災した人だけではない、と身にしみて感じるとともに、「大切な家族と安心してのんびり過ごせる場所の大切さ」を実感したと言います。
実行委員のサイトで仮り住まいの輪を知って共感し、すぐに協力したいと思ったそうです。

「今回の地震は、人ごとではない。関西の人たちはみんなそうだと思います」 (佐藤さん)

また早くに母を亡くし、それゆえの苦労も経験してきた佐藤さんは、「これまで多くの人に助けられてきたことの恩返しをしたい」という思いもあったと語ります。
しかし岡山は東北からかなり離れており、家財道具を一から揃えるとなるとお金もかかります。そのため「移住を前提とした人」を想定していたそうですが、被災地や事情を問わず誰でも受け入れるつもりでした。

提供したアパートは最寄り駅から徒歩5〜10分、自宅からも駅からも徒歩圏内に西日本でも有数の大学病院があります。

また岡山は「晴れの国おかやま」と言われるほど温暖で、穏やかな気候。自然災害も少なく、地震や台風の被害もめったにないと言います。

仮り住まいの輪に掲載後、3件の問合せがありました。うち2件が実際に岡山を訪れ、入居が決まったのは1件。茨城県北部の那珂市から避難してきた田中さん(仮名)母娘でした。

■東京、千葉、埼玉を転々とし、岡山へ避難
田中さんは、ちょうど東京を訪れていた際に被災。子供の健康を思うと茨城に戻ることができず、実父の単身赴任先である千葉へ、そして夫の実家がある埼玉へと移動しながら、避難先を探していました。
埼玉で避難中にインターネットで仮り住まいの輪を見つけ、佐藤さんの物件に出会いました。

田中さんは当初から、移住も選択肢に入れていました。1才9ヶ月(当時)の子供を保育園に通わせながら働き、蓄えができた段階で、いずれは「本住まい」に移りたい。このため「待機児童が少ないこと」「ハローワーク等で求人を調べ、仕事がありそうなこと」といった条件で情報を集め、岡山県なら大丈夫そうだという手応えを得ました。

決め手になったのは佐藤さんが掲載していた写真と物件情報でした。

「キャラクター物のお茶碗の写真が載っていたんです。それを見たら、妙にホッとしてしまって。
他にも、近くに大学病院があることや、1階のお部屋であることを書いて下さっていた。子供がまだ小さいので、2階以上は不安だったんです」(田中さん)

岡山には地縁も無く、行ったこともありませんでした。が、遠方のため下見はせず、メールと電話を経て仮り住まいすることを決断。6月11日、着替えやこたつテーブル等、身の回りのものだけ持って岡山へ向かいました。
当日、佐藤さんと田中さんは現地で初めて対面。鍵を開けて部屋に入ると、中には冷蔵庫、テレビ、炊飯器などの家具家電のほか、その日からすぐ暮らし始められるだけの生活雑貨が揃っていました。

■地元の友人・知人がサポーターに
普段は阪神地域に住み、大阪を中心に仕事で飛び回っている佐藤さん。実は、身ひとつでやってくる田中さんのため、もっと何かできることはないだろうかと考え、ブログでこんな呼びかけをしていました。

5月24日「情報があれば、お願いします。」

このたび、茨城から若いご夫婦が

移住を心に決めて、6月に岡山にやって来られることになりました。

そのガッツに、なんとか応えたい。

古いアパートではありますが、改装を終え、

なんと本日ナケナシのお金で改装代を工務店さんに支払ったところ。

私にとっても絶妙なタイミングで、覚悟を決めた、と奥さんから電話がありました。

とりあえず母子が先にほぼ身ひとつでやって来ることになっています。

用意できるものはできるだけ私が用意するつもりですが

やはり大物は難しい。私自身、遠隔地におるし。

で、もし冷蔵庫や洗濯機が余ってるぞー電子レンジなどもあるぞー

みたいな情報があれば

無償でゆずってやるぞー岡山なら届けちゃるぞー

みたいなおやさしい方がいれば

ご協力いただけませんでしょうか?

どうぞよろしくお願いします。

ブログを書いたときには「そんなに反応ないだろうな」と思っていたそうです。
ところが、この呼びかけに地元の同級生や知人・友人が反応。家財道具の提供の申し出等、佐藤さんへ次々と連絡が入り始めました。
そのときのブログがこちらです。

5月26日「ありがとうございます。」

こんな虫のよい話はないだろうと思いつつ

先日のブログを書きました。

……でも、電話が鳴りました。

亡くなったお母さんの家にある家財を必要なだけ提供する、とおっしゃってくださった方。

どこからか取ってきてやる、とおっしゃってくださった方。

買い換えで引き取った冷蔵庫や洗濯機を

持って行っちゃるぞ、とおっしゃってくださった

電気屋さんのお父さんを持つスーパーな親友。

本当にどうもありがとうございます。

感謝、感謝です。冷蔵庫は2戸ぶん、もう足りそうです。

ありがとうございます。

(中略)

彼女たち家族が、結局移住まではいかなくても、

わずかの間でも、遠慮せずにカラダを休める場所が提供できるなら、と考えています。

(中略)

森は木で、できている。

森を助けるために、まず倒れそうな一本の木から支えようとする人間がいてもいいのではないでしょうか。

福島も宮城も岩手も、人で、できているのですから。

佐藤さんは、同級生から「部屋の鍵を貸して」と言われ、鍵を預けていました。
現地の友人・知人たちは、佐藤さんも田中さんもいない間に「勝手に」家具家電を調達し、運び込みました。佐藤さんから具体的な指示や依頼があったわけではありません。それぞれが奔走し、必要と思われる物・提供できる物を持ち寄った結果、空っぽだった部屋にカーテンがかかり、照明器具がつきました。田中さんの入居時には、食器やトイレットペーパーまでが集まりました。
その部屋を見て、一番驚いたのは佐藤さんでした。

「私の方が感動してしまって。私は、たまたま鍵を持っていただけ。本当に何もしていないんです」(佐藤さん)


家電や生活雑貨を揃えてくれた丸川さん・小野さん

娘や孫のように接してくれた丸川さんの父・岡田さん

佐藤さん(左)と管理会社社長・中島さん(右)

入居後も田中さんの元には、佐藤さんの友人や近所の人たちが「元気?」「足らんもんがあったら言いや」と訪れているそうです。同級生のお父さんが田中さん母娘を食事に連れていってくれることも。

佐藤さんの思いに、地元の不動産管理会社さんも快く協力してくれました。友人や下見に訪れる人への鍵の受け渡し、また入居後の問合せや手続きなど、頻繁に現地へ行けない佐藤さんの代わりに、電話一本で対応してくれたと言います。

「何をしたらいいか分からないけど(困っている人たちのために)何かしたい、と思っている人たちはたくさんいるんですよね」(佐藤さん)

佐藤さんの仮り住まい提供は、そうした人たちが行動を起こすキッカケの役割を果たしました。
のみならず、佐藤さんがひとりで全てを背負い込むのではなく、“足りない”、”いない” といった「ない」を発信したこと。そして、あとは周囲に委ねたこと—いわば「席を空けておいた」ことで、そこに多くの人たちが参加し、力を発揮する場所が生まれました。

今回のケースでは、それは半ばやむを得ない事情(提供者が遠隔地に住んでいた)によるものでしたが、ボランティアによる支援活動の効果を高める上で、重要なヒントと言えるのではないでしょうか。

生まれ育った町の人たちの惜しみない善意と協力。そこから伝わってくる愛情が、田中さんだけでなく、佐藤さんにとって大きな支えになったと言います。

 

■震災を人ごとにしないために
田中さんは現在、週5日パートタイムで介護の仕事に就いています。元々、水道光熱費は実費負担でしたが、田中さんの強い希望で、就職を機に駐車場代も支払うようになりました。

「佐藤さんは1年間無償で…と言って下さってるんですけど、半年と思っています。できるだけ早く、自立した生活ができるようになることが恩返しだと思っているので」(田中さん)

佐藤さんの元には、毎月11日に、田中さんから近況を知らせるメールが届きます。遠く離れて住んでいるため直接会うことはありませんが、お互いにしっかりとした信頼関係を結んでいることが伝わってきます。

「彼女との出会いに感謝しています。彼女のおかげで、私は震災を人ごとにしないで生きていられるから」(佐藤さん)

佐藤さんは今後も、仮り住まいの提供を続けていくつもりだと言います。登録した2室のうち、まだ入居者の決まっていない1室は、現在も仮り住まいの輪サイトで公開されています(※ただし、問合せが来ているとのことです)。

勇気を持って、差し出された手を掴んでみる。
そのことが、自分だけじゃなく、手を差し伸べた相手を救うこともある。
多くの人へと連鎖していく善意の輪は、そんなところから始まるのかもしれません。

 

(取材・文/石神夏希)

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