事例紹介|東京「地元に恩返しするため介護の勉強を」<インタビュー>

今回取り上げるケースは、東池袋のマンション「ROYAL ANNEX」を経営するメゾン青樹・青木さんと、このマンションに仮り住まい中の片岡さん(仮名。福島県南相馬市)です。
住人と地域の人たちを招いて、毎年夏の終わりにマンション屋上で開かれるビアパーティ。マンションが出来て以来24年間に渡って開催されてきました。
このパーティに、今年は片岡さんも住人として参加。お客さんを迎えるため浴衣姿の青木さんも一緒に、会場でお話を伺いました。

もともと神奈川県で生まれ育ったという片岡さん。お父様が福島の自然に惚れ込み、南相馬に自宅を建てたことをキッカケに、ご家族で移住されました。片岡さんは神奈川・東京での暮らしを経て、7年前から福島でご両親と同居されていました。

 

■3月11日、被災したサービスエリアから車で福島へ
3月11日はご友人に会うため川崎を訪れていました。車で福島へ戻る途中、立ち寄ったサービスエリアで被災。5時間ほど足止めされました。

日が落ちてから福島へ向け再度出発したものの、高速道路は通行止めに。一般道路は停電のため信号も消え真っ暗。ところどころ陥没や地割れも見られ、通常なら4時間程度の帰路を24時間近くかけて戻ることとなりました。
明け方には津波の被害のあった久之浜地区に差し掛かり、 がれきの山の中を、震える手足を押して運転し続けました。

翌3月12日15時頃に、第一原発から22キロほど離れた自宅へ「命からがら」たどり着きました。

 

■3号機の爆発音を聞き、翌朝には自宅から自主退避
ご自宅は高台にあり、津波の被害はありませんでした。帰りのラジオで聞いた情報は、1号機から5キロ圏内の退避勧告。安全のため出来る限り屋内で過ごしていたものの、親類宅まで水をもらいに行ったり、避難所へ足りない物資を届けたりと、外出もしていたそうです。
3月14日、開けていた窓から爆発音が聞こえました。「最初は花火かと思った」。 夕方には電気が復旧し、テレビで3号機の爆発を知りました。すぐに家族で話し合い、自主避難を決意。翌朝早く、身の回りの物だけ持って車で福島を発ちました。

 

■東京の実妹宅に一次避難し、部屋探しをスタート
ご両親は神奈川県の親類宅に身を寄せましたが、「3人も転がり込むのは気が引ける」と考えた片岡さんは、都内で一人暮らしをしていた妹さんの部屋に避難。
しかし当初から、「いつまでも妹の部屋にいるわけにはいかない」「(事故収束の)見通しも立たないから、住む場所を探さないと」と考えていました。

「肉親だからこそ気を遣ったり、気後れする面もあった」(片岡さん)

避難から一週間程は、妹さんの使わない時間帯にパソコンを借りたり、インターネットカフェへ通うなどして震災関連のニュースをチェックする毎日。その中に、株式会社ネクストが運営する『Lococom』の被災者向け仮住まい情報 を見つけたそうです。
当時掲載されていた提供物件は2件だけ。そのうちの1件が青木さんの物件でした。

 

■見ず知らずの人でも安心できる情報を
青木さんは震災直後から、「仮り住まいの輪」に賛同を示していた大家さんのひとり。サイトオープンまでの期間、出せるところには早く出そうと、ひとまず前出の掲示板に物件情報を書き込みました。
フリーフォーム(記入項目が設定されていない)でしたが、青木さんは不動産業のプロ。どのような情報を記入すべきか熟知しており、スムーズな掲載が可能でした。

掲載内容については、以下の点にも留意しました。

・当時あった空室の中で一番低い階の部屋を提供することを明記
・“なぜこのような活動をするのか”という理由を伝える
(理由のない“慈善活動”には疑いや不安を感じやすいので)
・最初はハンドルネームを使用していたが、
「問合せする人が安心できるように」と実名に変更。
更に、ご自分がお子さんと一緒に写っている写真を掲載

片岡さんは地震直後からSNS(※mixi等、ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で友人の安否を確認するなど、インターネット上のコミュニケーションには慣れていました。
それでも最初はやはり「こんなに良いお話がそんな簡単にあるわけない」「私よりもっと困っている人がいて、もう決まったに違いない」と問合せを躊躇したそうです。
迷った片岡さんは、“明後日サイトを見てまだ掲載されていたら問合せしてみよう”と決めました。実際、翌々日まで待ってサイトを確認してから、思い切って問合せのメールを送ったのだそうです。

 

■問合せ当日に下見、入居を決定
片岡さんから青木さんへ、問合せメールが届いたのは3月27日早朝4時半頃。 青木さんは「同居しているご家族に遠慮して、こんな早い時間帯に部屋探しをしているのか」と心が痛んだと言います。青木さんは、携帯電話の番号を添えてすぐに返信しました。

以下、当時のメールのやり取りです。

2011/3/27 04:35 片岡さん→青木さん
『件名: 豊島区の仮住まいについて』

はじめまして。
私は、福島県南相馬市に住んでおりました、片岡と申します。
Lococomの「仮住まい」情報掲示板を拝見させていただきました。
現在、板橋区に住む妹のところに身を寄せておりますが、訳あってこれ以上世話になることが難しいため、支援していただける住居を探しております。
もし、またお部屋が空いているようでしたら、ぜひお願いしたいと存じます。
ご厚意に感謝すると同時に、大変申し訳なく思っております。
ご検討の上、お返事のほどよろしくお願い申し上げます。
携帯番号 ×××××××××××


2011/3/27 08:09 青木さん→片岡さん

『件名: Re:豊島区の仮住まいについて』

片岡様
はじめまして。Lococomに仮住まい登録しました、青木と申します。
まずは、謹んでお見舞申し上げます。

このたびはご連絡ありがとうございました。
ご事情もありそうですし、一度お話させていただけましたら幸いです。
ご都合のよいときに以下までご連絡お願いします。
大変恐縮ですがよろしくお願いします。
携帯番号 ×××××××××××
メールアドレス×××××××××××

この後、片岡さんから電話を掛け、青木さんの「仮り住まいとはいえ、環境が気に入らなければ良くない。ぜひ見に来て下さい」という言葉で、当日中に下見をすることが決定。
その後すぐ青木さんから、Googleマップの物件地図と、妹さん宅からの道順が届きました。

「してやってる感が全くないんですよ。何度も『とにかくここでゆっくりして下さい』と言ってくれて。お客さんとして扱われているような感じ。“これはちょっと違うんじゃないか”、“勘違いされているんじゃないか”と思いました(笑)」(片岡さん)

JR山手線・大塚駅から徒歩6分。「ROYAL ANNEX」は13階建て66戸、単身女性からファミリーまでが暮らすマンション。オートロックや防犯カメラ、24時間オンライン警備等セキュリティもしっかりとしていました。

今回提供されたのは、日当りの良い広めのワンルーム。下見に訪れたその場で、3月30日から入居することを決定。
仮り住まいの輪サイトのオープンを待って契約書のひな形を使い、3ヶ月間の使用貸借契約(水道・光熱費は実費負担)を交わしました。

「無償であっても、これで契約関係。片岡さんは住む権利を手に入れたんですから、遠慮しないでいいんですよ」 (青木さん)


■「被災者」と「支援者」ではなく、同じ立場で
3月11日、青木さんは首都高で運転中に地震に遭いました。

「自分もすごい揺れを体感して、“死ぬかもしれない”と思った。東京もいつ余震があって、逆の立場になっちゃうかもしれない。一方的に被災者を受け入れているというのではなく、同じ立場なんですよね」 (青木さん)

一方の片岡さんには、“被災者だからと何でもかんでも甘えられない”という思いがありました。
家具や家電がないことを心配し、手配してくれようとする青木さん。その申し出を「そこまでされちゃうと、かえって居づらくなっちゃうから」と断り、福島の自宅へ戻って、パソコンをはじめ身の回りのものを持参。足りない家具家電も自分でレンタル業者を探して、環境を整えました。

 

■地元に恩返しをするため、介護の勉強を
自分より大変な人、安全で温かい場所を必要としている人がいるのに、自分が入居していいんだろうか。最初、片岡さんにはそんな罪悪感があったと言います。

「そんなとき青木さんが、『片岡さんはたまたま情報にたどり着けた。動ける人が動くことで、避難所にそれだけ空きができて、良い状況で過ごせるようになった人がいる。片岡さんは地元の役に立ってるんですよ』と言ってくれた。すごく気が楽になりました」(片岡さん)

仮り住まいを始めて一週間、片岡さんはハローワークでの仕事探しと併せて、給付金の支給を受けながら介護の勉強ができる学校を探し始めました。

「介護の仕事をしたいと思ったのは、福島に戻ったとき、絶対に必要になるのが高齢者の介護だと思ったから。自分は以前から、地域の人たちにすごく助けられてきた。福島に帰ったら、今度は私が恩返しをしたい」(片岡さん)

しかしこのときは被災者の優先枠もなく、一度は残念ながら不合格に。
「こんなにしてもらっているのに、合格することができなかった……」と落ち込む片岡さんを見て、青木さんは“片岡さんを元気づけたい”と、東北へのボランティアツアーに参加することを決意します。

「実際の様子を見ていないと親身にお話ができないと感じたし、ぼくが代わりに(支援に)行くことで、片岡さんの気持ちが少しでも楽になれば、と思った」(青木さん)

片岡さんの自宅がある南相馬へは入れませんでしたが、仙台市宮城野区へ。数回に渡って泥の撤去や写真洗浄の活動に参加しました。東京に戻ってからはお土産を持って片岡さんを訪ね、ボランティア活動の報告をしたそうです。
片岡さんは7月1日より、被災者向けの採用枠で就職。 期間限定ながら都庁で働き始めました。介護学校受験の再挑戦を目指し、学校探しと受験準備を続けています。

 

■民間借り上げ制度が適用され、賃貸借契約に
3ヶ月の仮り住まい期間が終了し、2ヶ月の延長契約を結んだ頃、東京都でも民間借り上げ制度実施の告知がありました。しかし当初の条件は厳しく、片岡さんが対象外となってしまう恐れがありました。

そこで青木さんと片岡さんはそれぞれ役所に通って1ヶ月もの間、粘り強く交渉。「せめて面談をして、個々の事情を聞いてほしい」という嘆願が実を結び、実施の際は面談が行われることに。その際、片岡さんの事情が汲まれ、民間借り上げの対象として認められたのだそうです。
補助金の上限は75,000円。元々は賃料9万円前後のお部屋ですが、限度額内に収まるよう74,000円(共益費込み)に引き下げました。現在では家賃を介した賃貸借契約に移行しています。

印象的だったのは、お二人の、立場を超えて誰かを思いやる気持ち。お互いを尊重すると同時に、どんな状況でも自分に誇りを持ち、受け取った善意を大きなプラスへと活かしていることです。

「誰かの力になりたい」という気持ちは循環して、いつか大きな力になって自分のところに返ってくる。思い切って善意を受け取れば、それはきっと次の人に渡せる善意のバトンになる。
そのことをお二人に教えてもらったように思います。

(取材・文/石神夏希)

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