事例紹介 | 石巻「おばあちゃんの学習塾」<インタビュー>

「どこからおいでになったのす?」

お腹の底から響いてくるような柔らかい声と、凛と気のみなぎる瞳。
震災からちょうど3ヶ月を迎えた、6月11日。石巻でご自宅の離れを仮り住まいとして提供された三浦つよしさん(70歳、女性)にお話をうかがってきました。
お住まいは、つよしさんに似てどっしりと落ち着いた佇まいの古民家。「おっぴさん(曾祖父母)の代」に大火で焼けた家を建て直す費用がなく、古民家を移築してきたそうで、すでに築400年から500年ほどにもなるそうです。
山形の大学で建築を学んでおり、地震発生当時も山形にいた孫の高橋秀詠さんは「とっくにつぶれたと思った」そうですが、昔の家は柱と梁がしっかりしているため、かえって地震に強い場合もあるそう。秀詠さんも小さい頃から、よくこのお家に遊びに来ていたそうです。

今回、仮り住まいとして提供されたのは、母家から数十メートル離れた同敷地内に建つ離れ。こちらの建物はもともと、半分は農作業の作業場として、もう半分は学習塾や絵画をたしなむおじいちゃんのアトリエとして使われてきました。もともと住居ではありませんが、以前は料理教室だったこともあり、ガス・水道が通り、コンロもあります。トイレもついており(風呂は無し)、入居者の方は提供者の方と水回りを共有せず、一家族占有で暮らしています。

今回、この物件を仮り住まいとして提供し、被災者の方が入居するまでの経緯をお聞きしました。

■「入りたい人はいないか」避難所を回って探した
地震の直後、テレビで沿岸部の被災状況を知ったつよしさんは、すぐに「家の離れを困っている人に貸したい」と考えました。ご友人にも港のそばに住んでいる方が多く、まずは友人仲間のリーダー的な方から「離れを提供できる」と情報を広めてもらおうと、震災後3日目から避難所回りを始めました。

朝と夕方の一日二回、40人分ほどのおにぎりとおかずを背負い、さらには水を入れたポリタンクを両手に提げ、避難所へ通いました。瓦礫の上は歩いて、水のあるところは車で。「危ないから」と娘や孫たちに止められながらも、「家にあるだけの食べ物は全部あげたい」と、避難所に通う日々が続きました。
つよしさんは、避難所で身を縮めて眠る人たちの姿に胸を痛めながらも、仲間に情報を広めてくれるご友人を見つけることができず、誰に、どうやって離れを貸せばよいのか、方法が分からず困っていたといいます。

■お孫さんを通じて「仮り住まいの輪」と出会う
そんなとき、秀詠さんが【仮り住まいの輪】という仕組みがあることを知らせてくれ、「おばあちゃんのところの離れを提供したら」と勧めてくれました。おばあちゃんの“困っている人の力になりたい”という気持ちと仕組みが出会ったことで、「輪」が広がり始めました。

はじめは、2階に2部屋あるので夫婦なら2家族くらいは入れるだろうとアタリをつけ、水回りのある1階は共有スペースに、と考えたそうです。また被災された方が親類縁者の家に身を寄せるケースも多いなか、高橋さんたちは最初から「親戚ではない方に貸し出す」と方針を決め、避難所での情報発信を始めることにしました。

まだまだインターネットもプリンタでの印刷も難しい状況のもと、秀詠さんが手書きのチラシをつくり、避難所を歩いて回りました。あっという間に数件の問合せがありましたが、最終的には生後3ヶ月から小学3年生まで4人の男の子をもつ30代のご夫婦に決定。大人数のご家族のため、結果的に1家族のみの入居となりました。
お父さんは牡鹿半島・小渕浜で海苔の養殖に携わっていましたが、港が被災。契約や近所への挨拶回り、備品の手配などはすべて秀詠さんとそのお友達が奔走しました。入居の際は手作りの表札をプレゼントし、とても喜んでもらえたそうです。

※秀詠さん自身が書いた活動レポートは>こちら で読めます。


■子どもたちがのびのびできる環境
農業を営んできたつよしさんの家は普通の水道と併行して、山水を引いた簡易水道を使用してきました。離れにもこの山水が引かれているため、水道代は一切かかりません。このため入居者さんの負担はガス代と電気代のみ。
自費でお風呂をつけたいという希望もあったそうなのですが、仮設住宅の建設ラッシュのためボイラーが手に入らず、現在も自衛隊のお風呂やご親族の家のお風呂に通っています。入居されたご家族が購入したものは、冷蔵庫とテレビ。小さいお子さんたちがアニメを見るためテレビは必需品とのことですが、この家の周囲の環境も、子どもたちが避難所の生活から離れてリフレッシュするにはもってこいのようです。
家の目の前には小川が流れ、今もつよしさんがキャベツやブロッコリーを育てているという2ヘクタールもの畑が広がります。内覧で初めて訪れたときから、4人の男の子たちは元気いっぱいに家の周囲を走り回っていたそうです。

■親類縁者とは異なる「ほどよい距離」
畑で穫れた野菜を分けてあげたり、顔を合わせば「ただいま」「こんばんは」といった挨拶を交わすことはあっても、必要以上に関わることはないという、つよしさん。お父さんは毎日ガレキ撤去のため港に通い、ご親族も未だ見つかっていない入居者さんご一家をそっとしておいてあげたい、という思いもあります。

3ヶ月という長期間の間貸しにおいて、こうした「ほどよい距離感」がプラスに働いている面もあります。お知り合いのなかには、親族を受け入れた結果かえって気遣いが多く、疲れてしまったというケースも少なくないのだとか。

一方、山形に戻った秀詠さんは住宅や不動産について勉強する学生さんだけあって、2週間に1度ほどは入居者さんご一家に電話をかけ、困っていることはないか尋ねるなど、アフターケアも心がけています。必要以上に踏み込みはしないけれど、「部屋を貸すだけ」にならないように。つよしさんからも秀詠さんからも、自分よりも大変な状況にある人たちを思いやり、心を砕いていることが伝わってきます。

「ほどよい距離」を心がけるつよしさんですが、子どもたちはとても人懐っこいようで、つい先日も、小学生の息子さんが3ヶ月の弟さんを「おばあちゃん、この赤ちゃん抱いてあげて」と言いにきたのだそうです。

夏になれば、子どもたちはウチの前の沢で遊んだらいい。昔よりはあの川もだいぶ浅くなったけれど、と目を細めるつよしさん。その瞳の奥には、秀詠さんが小さかった頃の風景が映っているようにも見えました。

※3ヶ月経過後、入居者さんご一家のご希望で、仮り住まい1ヶ月延長となりました。(7月現在)

(取材・文/石神夏希)

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